2008年8月28日木曜日

いつもの生活に戻って

昨日(27日)、祖母の葬儀が行われた。
めったに会わない親戚や、近所の人達が家に集まった。
こんなことでもなければ会うことはなかっただろう。
葬儀そのものは滞りなく終わった。
この10日間は、嵐のように過ぎ去っていった。

2008年8月26日火曜日

祖母亡くなる

今週の日曜日、祖母がいよいよ危ないとの知らせを受けて、
朝早く病院に向かった。
土曜日に行った時はまだ息をしていたが、
もう虫の息で、こちらが呼びかけるとかすかに口を動かせるだけだった。
やがて、心臓の動きを示すメーターがゼロになっていき、
午前9時28分、医者が臨終の告知をした。
瞳孔は開いたままだった。

数日前に短くてあと2,3日しかもたないと言われたときは、
気が重くてしょうがなかったが、
いよいよ死んだときは、逆に落ち着いていて
「あっちの世界にいくんだなぁ」と思いながら、
祖母を迎える準備をするために病院を後にした。


そういえば、この前タモリの森繁久弥化について書いたけど、
しばらく経って考えを改めた。
あと10年ぐらいはまだこのままの状態が続くだろう、
そして徐々に枯れていくのかもしれない。

2008年8月20日水曜日

祖母の病

祖母が肺炎で先月から入院しているのだが、
腎機能がダメになって、あと一週間もつかどうからしい。
バイトが終わったあとに病院に面会に行ってきたが、
透析ができなくて手足が腫れていた。
しばらく寝ていたが、肩をさわったら目を覚ました。
しゃべっているが、声が出ない。
口の動きを見て少し会話をしてから病室をあとにした。

2008年8月10日日曜日

久しぶりの仕事

先週の木曜日、久しぶりに仕事にありついた。
といっても短期でバイトだけど。
でも仕事が無い状態よりはまだましだ。

次の日、就職で秋田を離れる知人を見送りに秋田市に。
お互いに少ない財布をはたいてビールとつまみで
色々な話をした。
彼とは今後いつ会えるか分からないが、
メールとか連絡は取っていこうと思っている。

そういえば、赤塚不二夫の葬儀で弔辞を述べるタモリの姿を
テレビで見ながら、たこ八郎や景山民夫が死んだときの
言動と今とを比較して、
森繁久弥みたいになってきているなとふと思った。
まあそう思っているのは私だけなのだろうな。