2008年7月23日水曜日

ひろゆき氏と赤木智弘氏に対して思う

前回、盛岡に行ったときの話をしたが、
そこでの帰り道、田沢湖線の発車時刻までしばらくヒマがあったので
本屋で、雑誌「m9」2号でのひろゆき氏のインタビューを読んでいて
最後の部分が心に引っかかった。その部分は正確には引用できないが、
彼が、ワーキングプア問題やニート問題は、求人があるのだから
本人のせいじゃないのかというニュアンスの発言をした事に対してだ。

彼が言っていることは、私は去年まで川崎市に住んでいたから
大都市圏では当てはまる部分はあると思うが、地方の農村部では
違うと思う。現在住んでいる秋田県仙北市では本当に仕事が無い。
私は去年の10月末以降、週2,3のペースでハローワークに
通ったが、地元では本当に求人が少なかった。
あってもパートぐらいで、農家の人が農業の片手間にやるような
ものぐらいだ。
そんなものでも求人だと思って応募しては何度も落とされた。
キャリアとかスキルとか以前の問題だ。
そのことを秋田市内の人に言っても理解してもらえない。
田舎には本当に求人が無い。それで収入が無いから、
やりたい事があっても元手がなくて何もできない。
この事についてはもうこれ以上は書かない。

あと、先週の雑誌「SPA」で西成暴動についての記事が載っていたが、
そこでのデモや暴動などの直接行動に対する赤木智弘氏の意見には
異論がある。
直接行動は、地道な活動に対してのイメージを損なっているのでは
ないかと赤木氏は言うが、やっぱり最終手段としては認めたほうが
いいのではないかと私は思う。
これは両刃の剣のようにどこへ矛先が向かうのか分からない危険が
あるのだが、歴史的に有効だった例はいくつもある。
赤木氏の今回のコメントには、
「希望は戦争」も含めてこれまで彼が持っていた、
保守、左翼を問わず、古い世代(団塊の世代含む)の説教臭さに
対する反感とアンチテーゼの部分が欠けてしまっている。
これまでは、赤木氏の言論をカッコ付きで支持していたが、
今回のは容認できない。
彼も従来のリベラル派に呑み込まれてしまったのかなと思った。

と、今回は書いていて、途中で中断して風呂に入ろうとしていたら
地震があった。部屋の中はこの前とは違って、古いビデオが
崩れてきたぐらいで済んだ。あとでテレビをつけたが
死者がいなかったみたいでこの点だけは安心した。

2008年7月16日水曜日

先週観た映画の話など

少し遅くなったけど、先週観に行った映画などの話を。
木曜日(7月10日)、久しぶりに盛岡に行き、
若松孝二監督の最新作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を
観てきた。
本当は若松監督が来る土曜日に行こうかと思ったけど、
木曜日のほうがメンズデーで割引になるのでこの日に行く事に。

劇場に入ってみると、だいたい15人ぐらい客がいて、
団塊の世代もいれば、若い女の子もいるという具合で、少ないながらも
幅広い客層だった。
昼の12時過ぎに映画が始まって、最初の3,40分ぐらいは
60年安保から連合赤軍の誕生までの流れを大まかにたどっていき、
テンポが速かった。佐野史郎や宮台真司が出ていたけど、
さらっと出演していたという感じで物語は進行していく。
それが山岳ベースに集結するあたりから変わっていき、
総括や粛清などの場面では丁寧に描かれていて、
実録は実録でも、深作欣二などの東映的なものよりも
むしろ、田中登の「人妻集団暴行致死事件」なんかに通じる
醒めた視線を感じた。ただ、監督自身の知人だった遠山美枝子と
加藤兄弟の末弟を中心に描くところが、オーソドックスなドラマとして
この映画の背骨の部分になっていて、これをどうとるかによって
観客の評価は割れるだろうなと感じた。
ちなみに私は、ヒューマニズムを排除した形でもっと事実を
冷徹に描いてもよかったと思う。
でもまあ、3時間少しの長い作品だったけど、長さはあまり感じなかった。
あと、ジム・オルークの音楽もよい意味で職人的で
映像と良く絡んでいた。

映画が終わってから盛岡の街を歩きながら、秋田よりも栄えているなぁと
感じた。少し時間があったので、本屋で時間をつぶしていると
けっこう後藤新平についての本が並んでいたりして、
この人は郷土の偉人として扱われているんだなとあらためて思った。
このあと午後6時過ぎの電車で帰宅。

次の日(7月11日)、秋田県公文書館に行く。
公文書館講座アーカイブスコースを受講。
こちらは会場に行ってみると、7,80人ぐらいが既に入っていて、
思ったよりも人が多くてびっくり。ただ、全体的に年齢層が高く
私が最年少なのではないかと思うほど。
午後2時に講義は開始。
講義の内容をここに全部書くと長くなるので結論だけを書くと、
江戸時代は士農工商というタテマエがあった。
ただ、幕臣もそうだが、秋田藩では、直臣(大名の直接の家臣)と
陪臣(家臣の家臣)とに分かれていて、農民など他の身分から
陪臣になる例は多かったが、陪臣から直臣になることはできなかった。
というよりも、法的にいくつかの規制が設けられていて、
武士身分のなかでも隠微な差別があったらしい。
あと、直臣はほぼ世襲だが、陪臣は役目が終わるとまた仕官先を
転々としているような者が多く、講師はこれを現代の正社員と
派遣などの非正規社員の差別に例えながら説明していた。
講義を聴きながら、日本は本質的な根っこの部分で近世から
変わっていないのではないかと微妙な気分になっていた。
でも、こういったことを知るというだけでも有益だったことは
確かだった。
ということで、遅くなったけど先週の出来事でした。

2008年7月2日水曜日

サムルノリを観る

先週の水曜(6月25日)に、秋田市民会館にサムルノリの公演を
観に行ってきた。
会場にはバスでゆられて開場の少し前に着いたので、
近くの図書館に寄り、少し時間をつぶしてから会場に行く。
席について周りを見渡してみると、1階席がほぼ満席で、2階にも
少し人がちらほらしていた。
韓国語も聞こえてきたので在日らしい人も多かったけど、
全体的には、コアな韓流ファンの女性連れや、普通に興味をもって
来た人の方が多かったと思う。

最初は井筒和幸監督のトーク。
対談によるQ&A方式で話が進んでいった。
結構内容が飛んだりしたので正確には覚えていないが、
最初期のピンク映画をインディーズで作った頃から始まり、
ガキ帝国などの話、映画を含む芸能におけるハレとケのこと、
韓国文化における恨(ハン)の重要さ、あとネット言論批判と
「パッチギ」と連動するテーマでほぼ1時間ぐらい話をして終了。
監督の印象といえば、あの世代は長谷川和彦監督もそうだけど
表面的にはマッチョなポーズをとるけど、
中身は繊細なところがあるだろうなという感じ。
半分マジであと半分はポーズで露悪的な人間を装っているなと
話を聞きながら思った。
私は「パッチギ」は2作とも観たけど感想を書くと長すぎるので
ここではふれない。

それから、主催者の挨拶につづき、会場が暗くなって
さあサムルノリの登場か!と思いきや、
会場後ろから演奏をしながら入ってきてこれにはやられた。
面白いと思った。
サムルノリの演奏を観て聴いて、日本人の民族性やリズム感とは
似ているところと違うところがあるなと感じていたところがある。
違うところというのは、
日本人のリズムは4分の4拍子が中心だが、
韓国人は8分の6や4分の3拍子が中心で、たまに奇数拍子と
偶数拍子が入り混じったりするのが印象的で、やっぱり島国と
くらべてより、大陸に近いというか、遊牧民族的なリズム感を
感じた。
逆に、日本人に近いところというのは、(間)の感覚や
リズムが伸縮する感じだったりして、
これは、アフリカ人とかが持っていない感覚で、こっちの方は
我々日本人と同じく東アジア的なものと思う。

第1部が終わってからトイレに行き、暫らくして第2部が開始。
こちらはよりアクロバティックで、芸能にはなったけど
日本の初期の田楽と同じく、シャーマニスティックな神事の感じが
した。さらに、トルコやスーダンのスーフィー達の儀式にも
通じるものを(多分私だけだろうけど)感じた。
それをいかにもではなく、ごく自然にやってのけるところが
良かったのだと思う。
アンコールでは、客席にいた人もステージに上がって
30人ぐらいでぐるぐると踊って楽しそうに幕を閉じた。

もう午後9時半を過ぎていて、家には帰れないので、
前もって伝えていたとおりに友人に連絡して泊めてもらい、
朝まで呑んでこの日は終了。
次の日は2日酔いで苦しかった。