2010年5月28日金曜日

横田基地問題を棚に上げる石原都知事の鳩山批判

今回の全国知事会に出席した石原慎太郎都知事が、
鳩山首相のやり方はナンセンスだという趣旨の発言を
マスコミ向けに行ったが、
彼のお膝元の横田基地問題では、
知事初当選から10年以上たってもほとんど進展がない
公約破り状態になっている。
それにくらべたら、今回は敗れたにせよ、
鳩山首相は、就任1年以内のこの時点で、
アメリカと愚直に正面から交渉した姿勢が、
沖縄県民だけでなく日本国民すべてに対して
真摯な態度ではないのかと私は感じた。

石原都知事が1999年に初当選したときの公約の一つに、
横田基地のアメリカからの返還および、
民軍共用にして成田、羽田に次ぐ首都圏の第三の国際空港化という
ものがあったが、
今ではほとんど無かったかのように扱われている。
マスコミ的に言えば、この公約を支持して彼に投票した人達に
対する説明責任を石原都知事は果たしていない。
この二つの件を比較して、
石原慎太郎は、本当は民族派の皮をかぶったポチ保守なのだなと
判断して、離れていく元支持者も一部だろうがいるのではないか。
私も昔はそうだったから、
片田舎から中央の動きを観察していて
多分そうなるだろうと判断している。

2010年5月22日土曜日

太田光と中沢新一の関係は今どうなっているのか?

昨日の晩、父親が居間のテレビで太田総理を観ていたが、
それを隣の台所で聞きながらふと思ったことがあった。

私はこの番組が嫌いなので、最近は全く観ていない。
その理由として、
数年前に、「憲法九条を世界遺産に」という本を
中沢新一との共著として出した人物として、
最近のこの番組での言動が、
ほとんど転向といってもいいほどぶれていると感じるからだ。
もともと新左翼よりも古い、
1950年代的左翼といってもよいぐらいの
思想傾向の持ち主だった彼が、
最近では、竹中平蔵ばりの新自由主義者か
宗教右翼の人間にすら感じられる。
たぶんナベツネの圧力なんだろうが、
読売新聞本体や、たちあがれ日本が改憲を唱えだしたら、
太田光自身が改憲論を言い出す可能性がある。

その上で、太田光と中沢新一との関係は
今どうなっているのだろうかと考えてみた。
現在では、昔に比べて二人の関係が
ギクシャクしている可能性がありうると思ったことがある。
昨年(09年)2月、
NHKの爆問学問に藤枝守が出演したときの
互いに話が噛み合わない微妙な放送を観た時の印象から
今に思えばそう感じられるのだ。
藤枝氏の著書「響きの考古学」の
平凡社ライブラリー版の解説を中沢新一が書いている。
他にも一緒に仕事をしたことがあるので、
藤枝氏は中沢人脈に連なる人物と判断できる。
太田光はこのことを分かっていて、
このような態度に出たのかなと私は推測した。

そういえば、話は変わるが、
一部で有名なあの三宝会という団体名の「三宝」が
仏教用語なのがすごく気になった。
新聞やテレビなどの中枢にも、
いわゆる「保守のカルト汚染」と同じ現象が
起こっている可能性が考えられる。
これからも、マスコミの報道にどのようなバイアスが
かかっているのか、観察していこうと思っている。

2010年5月17日月曜日

能楽堂ライヴに行って

昨日(17日)、大仙市協和にある唐松神社近くの能楽堂で
行われたライヴを観に行ってきた。
ディジュリドゥ奏者の玄武という人と、
フォークトロニカの2人組バンドHerr(ヒア)の
二組の演奏だったが、会場への到着が予定よりも1時間近く
遅れてしまい、1ステージ目の玄武の演奏は到着と同時に終了。
休憩を挟んで次のHerrの演奏がスタート。
歌ものの弾き語り+空間系エフェクターを多用したギターに
時折シンセなどの効果音が入る。
曲によっては、歌詞が私小説フォーク的なところもあったりして、
個人的にはどうかなという所もあったが、最後の曲は良かった。
その後、また休憩をはさんで、
玄武とHerrのジャムセッションがスタート。
これはアンビエントかつミニマルで、
途中、ギターとシンセの絡みが
マニエル・ゴッチングをイメージさせたりもして、
それはそれで面白かった。
休憩中、バンドのメンバーとは少し会話をしたが、
この手の音楽性(音響系以降)のバンドは、
秋田市や盛岡市などの都市部は別として、
このあたりではほとんどいないらしい。
多分そうだろうな。
私も、バンドメンバー募集の広告を出したことがあるが、
2人ぐらいしか連絡がこなかった。
その日は夜にもイベントがあったようだが、
そちらには顔を出さずに帰宅の途についた。

2010年5月12日水曜日

三宅久之、第3極あるいは第3党

今週の月曜に、テレビをつけたまま履歴書を書いていると、
TVタックルが始まって、
三宅久之がしれーっと何事も無かったかのように出演していて、
いつものように厚顔無恥に話しているのを観て、
私は途中で不愉快になってテレビを消した。

彼は、例の野中広務発言から始まった機密費疑惑には
一切触れずに、これからもテレビに出演し続けるのだろうか。
日曜日のやしきたかじんの番組は、
この前は、私の地元ではマラソンのため放送していなかったが、
他の地域ではどうだったのだろうか?
宮崎哲弥も同じだ。

こんな内容の番組ばっかりたれ流すのだったら、
テレビは滅んでも仕方がないと思う。
それこそ自業自得または自己責任そのものではないか。


話は変わるが、新聞やテレビで、
イギリスの第3党である自民党の報道をやたらに目にするが、
アメリカの第3極または第3党としての
ティーパーティーの運動については、
私が知っている限りでは、読売新聞が一度だけ報道しただけで、
日本では、ネット言論を除いてはほとんど目にすることはない。
90年代のロス・ペローの改革党の運動や、
ゼロ年代初頭の緑の党と比べても、
全然報道されない。

イギリスの自民党は元々ホイッグ党~自由党の流れなので、
トーリー党が前身の保守党と連立することで、
無産政党である労働党に対する有産階級の政党として、
本当の意味での二大政党制になるのではないのかと
思うのだが。

話が戻って、
92年頃、音楽雑誌「クロスビート」の
ソニック・ユースのインタビューで、
個人名は思い出せないのだが、
メンバーが、ロス・ペローの運動について聞かれたとき、
あれはレッドネックの運動で、パパブッシュよりも
悪いという趣旨の発言をしていたのを記憶している。
当時は、私はその本当の意味を理解していなかったが、
いまでは、リベラルで進歩的な都市住民達が
本音では、田舎の人間達を蔑視しているのではないかという
象徴的な発言だったのだなと感じるようになった。
日本でも本当はそうなのではないか。
田舎住民がそう思われても仕方ない部分はあるのは
事実だが、
都市と田舎の両方の人間達を見てきた私は、
もやもやとした、何か釈然としないものを感じている。