最近、テレビや新聞、ネットでの中国関連の報道を
見ながら感じたことがあるのだが、反仏デモの映像を
見ながら、山本七平の著書『「空気」の研究』に
書かれていた内容を思い出していた。
もともと、「空気」とは日本人に固有の集団心理を
指す言葉なのだが、中国(や韓国)にも「空気」に
当てはまるものが存在するのかもしれない。
中国人は、日本人の集団的傾向に対して、
超個人的(アトム的)な要素のほうがつよいから
性質的に違ったものになると思うけど、
それでも、漢字文化圏特有の人間関係の心理状態と
しての「空気」が良くも悪くも共通してあるのだろうと
思う。
05年の反日デモのときもそうだったが、
3月のチベット騒乱の時から、最近の反欧米デモや
ネット言論などの動きを見てみると、中国人の
ナショナリズムは、20世紀初め頃のわが国の感じに
よく似ていると感じた。
ちょうど、1905年(明治38年)のポーツマス条約反対の
日比谷焼き討ち事件のはげしさによく似ている。
私の勝手な妄想なのかもしれないが、
このまま状況が進んでいくと、そのうち関東大震災直後
の民衆による朝鮮人虐殺に似たようなことが、
(漢民族からチベット、ウイグル民族などに対して)
起こる可能性を感じた。
だから、ダラムサラの亡命政府と中国政府の対話が
はじまったとしても、このことは注意して見守らないと
いけないと思う。
『「空気」の研究』の話にもどるが、
そういえば最近、佐藤優の「私のマルクス」を読んでいる
最中だが、この人物には少し山本七平に通じるものを感じた。
というよりも、日本人のキリスト教徒で聖書や神学の
研究をして、かつ保守寄りの思想の持ち主というのは
似たような精神構造になるのかもしれない。
そういう立場から日本を研究または分析するので、
良し悪しは別として、あの独特な視点が生まれるのだろう。
あと、最近の流行語の「KY」に対して、
ネット上で「KY」は村八分と同義語ではないかという
書き込みをみつけた(何のサイトだったかは忘れた)。
私もこの意見には共感できる。
この日本的な「空気」というものは
たまらなくいやなものなのだ。
個人の思考、行動に対してものすごい重圧になっていく。
もっと風通しのいい社会になってほしいものだが
(この言葉も「空気」と繋がっている)、
なかなかそうはいかないというのが現状である。
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