2010年6月8日火曜日

「クリーンな政治というものは存在しない論」について

先日、評論家の山崎行太郎氏が、自身のブログで、
「そもそもクリーンな政治などというものは存在しない」という
思想的立場から、鳩山前首相の辞任演説のうちの
いわゆる「政治とカネ」の部分を批判した。
この件について、私は、最初の二日間ほどは
どう判断してよいものか正直迷っていたが、
菅内閣の政治姿勢が明らかになるにつれて、
今では非常に共感できる。

おそらく、鳩山前首相は、アメリカの脅しに屈して、
沖縄県民、社民党に続いて、小沢一郎をも心中という形で
裏切ったのだろう。
それも、公開の場で小沢はダーティーな政治家だという
イメージを植え付ける内容の演説を行って、
自分だけ戦線離脱するというやり方で、
小沢の顔に泥を塗るという悪質なやり方だった。

過去にも書いたように、
政治的にクリーンであるということを追求する政治体制は、
一般国民にもクリーンさを押しつける政策を採り始め、
やがて、結果的に、圧政または暴政が始まっていく。
すでに、表現の自由、通信の自由の分野から、
誰も文句の言えない性表現への規制という形でこの兆候がみられる。
このことが、最終的には日本のコンテンツ産業を窒息させ
衰退させかねない。
また、政治家個人の金銭的自由を制限したら、
最終的には、共産党のような前衛党や、
もしくは宗教政党しか自由な政治活動ができなくなってしまう。
それで最近では、保守系の議員が宗教的組織票頼みで
選挙活動を行ったり、
もともとは小政党的派閥の集合体であった自民党が、
小泉政権時代には前衛党化現象を起こしたりして、
クリーンな政治を追求することにより、
悪い意味での保守政党の変質をもたらした。

この現象について、かつて、渡部昇一氏は「腐敗の時代」の中で
いわゆるダーティーな政治というものを擁護していた。
そのことが気になって、最近の著書や雑誌に載った文章に
あたったりしたが、
私の知る限りでは、最近ではこの件については触れていない。
しかも、小鳩政権への評価について極めて偏った点が見受けられる。
この件については、また後の機会に書く。

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