2010年6月29日火曜日

備忘、鳩山由紀夫の祖父、一郎の失敗から

「鳩山と小沢は、社民党と組んで、
彼等に部分的に譲歩したから左翼だ!」と言う人々に対して、
1950年代の日本の権力闘争から学ぶ点。

片岡鉄哉「日本永久占領」P392~P393より

(引用はじめ)

  日本の政治は三つに分裂しており、岸が多数派を形成するには、
 吉田か社会党かのどちらかを抱き込むか、少なくとも中和させる
 ことが不可欠だった。吉田を抱き込むか中和させるには、二つの
 手段があった。一つは社会党との超党派外交であり、鳩山と石橋
 は、これを実行したのである。
  蛇足になるが、右と左が手を組むということは、そんなに不自
 然なことではない。社会党はだらしのない政党だと私は思うが、
 社会党に貴重なものが一つだけある。それは独立志向である。だ
 が社会党の独立志向は、ジャン・ジャック・ルッソーのnoble sa-
 vageの独立指向で、一人よがりであり、手段をまったく無視して
 いる。非武装で独立を達成しようとするところに、社会党の誤謬
 があった。
  鳩山と石橋が社会党と手を組んだのは、単なる力学上の計算だ
 けではなく、独立志向の故であった。しかし、鳩山が超党派外交
 をやった結果は、吉田とワシントンの再接近を許し、鳩山は失脚
 することになった。

(引用終わり)

保守政治家が、ある共通の目的のために、左翼と手を組むという手段は
チャーチルやドゴールも行った。その行為は倫理的に善でも悪でもない。
ただし、その結果に対する責任は負うべきだと思う。

(追記)
これを書いている途中に、テレビで政見放送が流れていた。
その感想。
公明党は優等生的であった。ただし、自公連立に対する彼等なりの
決別らしい言及はなされていた(マネタリズムにたいする批判)。
民主党のほうは、
菅直人総理のとなりに七奉行派の小宮山洋子女史がいる。
このことが重要だ。
菅総理が、「なぜ最小不幸社会なのか」という問いに対して、
「強制的に幸福を追求するということは、強迫的になっていく」との発言。
幸福実現党に対する軽い嫌みともとれる。ここだけは面白い。
新しい公共とは社会民主主義的な発想。
ここでは消費税増税には一言も触れなかった。
(さらに追記、後でもう一度観たら、増税論に大きく時間を
 割いていた。私の記憶違い。)
菅総理一人になってから、風呂に入るために観るのを中断した。

0 件のコメント: