2008年10月9日木曜日

渡辺文樹監督についての記事を読んで

今年の5月頃から、映画監督の渡辺文樹氏が発表した「天皇伝説」という
作品が騒動を巻き起こしているらしい。
この件については、「映画秘宝」や、遂には「週間新潮」が
記事にしているが、私にはどうしても腑に落ちない点がある。
それは、それらの記事や、コメントを書いている人間が、
誰もこの映画の元ネタである、鹿島昇や太田龍などの本の内容を
正面から批判していないというよりも、
はっきりいって黙殺しているという事についてである。
この点については誰も無かったことにしておしまいという感じだ。
映画の出来はともかく、この件についてはもっと深く掘り下げて論ずる
べきだと思う。

そういえば、現在の皇室の血統や、それだけでなく、海軍善玉史観にも
疑念を持っている映画人がもう1人いた。
それは脚本家の故笠原和夫である、彼もこの問題に関心を
いだいていた事は、
対談本である「昭和の劇」に詳しく書かれている。
本当は、この事に関心を持っている人間は左右問わず、
結構いるのではないだろうか?
渡辺文樹を嘲笑するぐらいだったら、ほかの天皇制懐疑論者も一緒に
批判すべきだと、この田舎から横目で見ながら感じている。

2008年8月28日木曜日

いつもの生活に戻って

昨日(27日)、祖母の葬儀が行われた。
めったに会わない親戚や、近所の人達が家に集まった。
こんなことでもなければ会うことはなかっただろう。
葬儀そのものは滞りなく終わった。
この10日間は、嵐のように過ぎ去っていった。

2008年8月26日火曜日

祖母亡くなる

今週の日曜日、祖母がいよいよ危ないとの知らせを受けて、
朝早く病院に向かった。
土曜日に行った時はまだ息をしていたが、
もう虫の息で、こちらが呼びかけるとかすかに口を動かせるだけだった。
やがて、心臓の動きを示すメーターがゼロになっていき、
午前9時28分、医者が臨終の告知をした。
瞳孔は開いたままだった。

数日前に短くてあと2,3日しかもたないと言われたときは、
気が重くてしょうがなかったが、
いよいよ死んだときは、逆に落ち着いていて
「あっちの世界にいくんだなぁ」と思いながら、
祖母を迎える準備をするために病院を後にした。


そういえば、この前タモリの森繁久弥化について書いたけど、
しばらく経って考えを改めた。
あと10年ぐらいはまだこのままの状態が続くだろう、
そして徐々に枯れていくのかもしれない。

2008年8月20日水曜日

祖母の病

祖母が肺炎で先月から入院しているのだが、
腎機能がダメになって、あと一週間もつかどうからしい。
バイトが終わったあとに病院に面会に行ってきたが、
透析ができなくて手足が腫れていた。
しばらく寝ていたが、肩をさわったら目を覚ました。
しゃべっているが、声が出ない。
口の動きを見て少し会話をしてから病室をあとにした。

2008年8月10日日曜日

久しぶりの仕事

先週の木曜日、久しぶりに仕事にありついた。
といっても短期でバイトだけど。
でも仕事が無い状態よりはまだましだ。

次の日、就職で秋田を離れる知人を見送りに秋田市に。
お互いに少ない財布をはたいてビールとつまみで
色々な話をした。
彼とは今後いつ会えるか分からないが、
メールとか連絡は取っていこうと思っている。

そういえば、赤塚不二夫の葬儀で弔辞を述べるタモリの姿を
テレビで見ながら、たこ八郎や景山民夫が死んだときの
言動と今とを比較して、
森繁久弥みたいになってきているなとふと思った。
まあそう思っているのは私だけなのだろうな。

2008年7月23日水曜日

ひろゆき氏と赤木智弘氏に対して思う

前回、盛岡に行ったときの話をしたが、
そこでの帰り道、田沢湖線の発車時刻までしばらくヒマがあったので
本屋で、雑誌「m9」2号でのひろゆき氏のインタビューを読んでいて
最後の部分が心に引っかかった。その部分は正確には引用できないが、
彼が、ワーキングプア問題やニート問題は、求人があるのだから
本人のせいじゃないのかというニュアンスの発言をした事に対してだ。

彼が言っていることは、私は去年まで川崎市に住んでいたから
大都市圏では当てはまる部分はあると思うが、地方の農村部では
違うと思う。現在住んでいる秋田県仙北市では本当に仕事が無い。
私は去年の10月末以降、週2,3のペースでハローワークに
通ったが、地元では本当に求人が少なかった。
あってもパートぐらいで、農家の人が農業の片手間にやるような
ものぐらいだ。
そんなものでも求人だと思って応募しては何度も落とされた。
キャリアとかスキルとか以前の問題だ。
そのことを秋田市内の人に言っても理解してもらえない。
田舎には本当に求人が無い。それで収入が無いから、
やりたい事があっても元手がなくて何もできない。
この事についてはもうこれ以上は書かない。

あと、先週の雑誌「SPA」で西成暴動についての記事が載っていたが、
そこでのデモや暴動などの直接行動に対する赤木智弘氏の意見には
異論がある。
直接行動は、地道な活動に対してのイメージを損なっているのでは
ないかと赤木氏は言うが、やっぱり最終手段としては認めたほうが
いいのではないかと私は思う。
これは両刃の剣のようにどこへ矛先が向かうのか分からない危険が
あるのだが、歴史的に有効だった例はいくつもある。
赤木氏の今回のコメントには、
「希望は戦争」も含めてこれまで彼が持っていた、
保守、左翼を問わず、古い世代(団塊の世代含む)の説教臭さに
対する反感とアンチテーゼの部分が欠けてしまっている。
これまでは、赤木氏の言論をカッコ付きで支持していたが、
今回のは容認できない。
彼も従来のリベラル派に呑み込まれてしまったのかなと思った。

と、今回は書いていて、途中で中断して風呂に入ろうとしていたら
地震があった。部屋の中はこの前とは違って、古いビデオが
崩れてきたぐらいで済んだ。あとでテレビをつけたが
死者がいなかったみたいでこの点だけは安心した。

2008年7月16日水曜日

先週観た映画の話など

少し遅くなったけど、先週観に行った映画などの話を。
木曜日(7月10日)、久しぶりに盛岡に行き、
若松孝二監督の最新作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を
観てきた。
本当は若松監督が来る土曜日に行こうかと思ったけど、
木曜日のほうがメンズデーで割引になるのでこの日に行く事に。

劇場に入ってみると、だいたい15人ぐらい客がいて、
団塊の世代もいれば、若い女の子もいるという具合で、少ないながらも
幅広い客層だった。
昼の12時過ぎに映画が始まって、最初の3,40分ぐらいは
60年安保から連合赤軍の誕生までの流れを大まかにたどっていき、
テンポが速かった。佐野史郎や宮台真司が出ていたけど、
さらっと出演していたという感じで物語は進行していく。
それが山岳ベースに集結するあたりから変わっていき、
総括や粛清などの場面では丁寧に描かれていて、
実録は実録でも、深作欣二などの東映的なものよりも
むしろ、田中登の「人妻集団暴行致死事件」なんかに通じる
醒めた視線を感じた。ただ、監督自身の知人だった遠山美枝子と
加藤兄弟の末弟を中心に描くところが、オーソドックスなドラマとして
この映画の背骨の部分になっていて、これをどうとるかによって
観客の評価は割れるだろうなと感じた。
ちなみに私は、ヒューマニズムを排除した形でもっと事実を
冷徹に描いてもよかったと思う。
でもまあ、3時間少しの長い作品だったけど、長さはあまり感じなかった。
あと、ジム・オルークの音楽もよい意味で職人的で
映像と良く絡んでいた。

映画が終わってから盛岡の街を歩きながら、秋田よりも栄えているなぁと
感じた。少し時間があったので、本屋で時間をつぶしていると
けっこう後藤新平についての本が並んでいたりして、
この人は郷土の偉人として扱われているんだなとあらためて思った。
このあと午後6時過ぎの電車で帰宅。

次の日(7月11日)、秋田県公文書館に行く。
公文書館講座アーカイブスコースを受講。
こちらは会場に行ってみると、7,80人ぐらいが既に入っていて、
思ったよりも人が多くてびっくり。ただ、全体的に年齢層が高く
私が最年少なのではないかと思うほど。
午後2時に講義は開始。
講義の内容をここに全部書くと長くなるので結論だけを書くと、
江戸時代は士農工商というタテマエがあった。
ただ、幕臣もそうだが、秋田藩では、直臣(大名の直接の家臣)と
陪臣(家臣の家臣)とに分かれていて、農民など他の身分から
陪臣になる例は多かったが、陪臣から直臣になることはできなかった。
というよりも、法的にいくつかの規制が設けられていて、
武士身分のなかでも隠微な差別があったらしい。
あと、直臣はほぼ世襲だが、陪臣は役目が終わるとまた仕官先を
転々としているような者が多く、講師はこれを現代の正社員と
派遣などの非正規社員の差別に例えながら説明していた。
講義を聴きながら、日本は本質的な根っこの部分で近世から
変わっていないのではないかと微妙な気分になっていた。
でも、こういったことを知るというだけでも有益だったことは
確かだった。
ということで、遅くなったけど先週の出来事でした。

2008年7月2日水曜日

サムルノリを観る

先週の水曜(6月25日)に、秋田市民会館にサムルノリの公演を
観に行ってきた。
会場にはバスでゆられて開場の少し前に着いたので、
近くの図書館に寄り、少し時間をつぶしてから会場に行く。
席について周りを見渡してみると、1階席がほぼ満席で、2階にも
少し人がちらほらしていた。
韓国語も聞こえてきたので在日らしい人も多かったけど、
全体的には、コアな韓流ファンの女性連れや、普通に興味をもって
来た人の方が多かったと思う。

最初は井筒和幸監督のトーク。
対談によるQ&A方式で話が進んでいった。
結構内容が飛んだりしたので正確には覚えていないが、
最初期のピンク映画をインディーズで作った頃から始まり、
ガキ帝国などの話、映画を含む芸能におけるハレとケのこと、
韓国文化における恨(ハン)の重要さ、あとネット言論批判と
「パッチギ」と連動するテーマでほぼ1時間ぐらい話をして終了。
監督の印象といえば、あの世代は長谷川和彦監督もそうだけど
表面的にはマッチョなポーズをとるけど、
中身は繊細なところがあるだろうなという感じ。
半分マジであと半分はポーズで露悪的な人間を装っているなと
話を聞きながら思った。
私は「パッチギ」は2作とも観たけど感想を書くと長すぎるので
ここではふれない。

それから、主催者の挨拶につづき、会場が暗くなって
さあサムルノリの登場か!と思いきや、
会場後ろから演奏をしながら入ってきてこれにはやられた。
面白いと思った。
サムルノリの演奏を観て聴いて、日本人の民族性やリズム感とは
似ているところと違うところがあるなと感じていたところがある。
違うところというのは、
日本人のリズムは4分の4拍子が中心だが、
韓国人は8分の6や4分の3拍子が中心で、たまに奇数拍子と
偶数拍子が入り混じったりするのが印象的で、やっぱり島国と
くらべてより、大陸に近いというか、遊牧民族的なリズム感を
感じた。
逆に、日本人に近いところというのは、(間)の感覚や
リズムが伸縮する感じだったりして、
これは、アフリカ人とかが持っていない感覚で、こっちの方は
我々日本人と同じく東アジア的なものと思う。

第1部が終わってからトイレに行き、暫らくして第2部が開始。
こちらはよりアクロバティックで、芸能にはなったけど
日本の初期の田楽と同じく、シャーマニスティックな神事の感じが
した。さらに、トルコやスーダンのスーフィー達の儀式にも
通じるものを(多分私だけだろうけど)感じた。
それをいかにもではなく、ごく自然にやってのけるところが
良かったのだと思う。
アンコールでは、客席にいた人もステージに上がって
30人ぐらいでぐるぐると踊って楽しそうに幕を閉じた。

もう午後9時半を過ぎていて、家には帰れないので、
前もって伝えていたとおりに友人に連絡して泊めてもらい、
朝まで呑んでこの日は終了。
次の日は2日酔いで苦しかった。

2008年6月24日火曜日

小池一夫の講演会に行ってきた

今週の日曜日(6月22日)の午後、「子連れ狼」「修羅雪姫」などの
原作者である、現在大曲在住の小池一夫氏の講演と、
映画上映が行われるというので、中仙のドンパルに行ってきた。

到着したのは開演時刻の午後2時の少し前で、ホールの7割ぐらいが
埋まっていていて、私は比較的空いている後側の席に座った。
周りを見渡してみると、座っているのは大体5,60歳代ぐらいで、
私と同世代の人は数えるぐらい、まあリアルタイムで「子連れ狼」を
観ていたのはこの世代なんだろうなぁと思ったりもした。

午後2時を少し過ぎて、まずは大仙市長のあいさつと紹介。
その中で、昭和11年会のところを21年会といい間違えて
会場がざわめいたりした。
紹介されて登場した小池氏は、「10年若く言ってもらって嬉しい」
などとジョークをとばしながら講演を始めた。
少年時代に立川文庫や講談社の本を読みふけり、あとでその内容を
級友たちに話して聞かせていた頃の話から、だんだんと武士と死と
葉隠の関係についての話になっていき、これについては正直武士道を
美化しすぎなのではないかとも思ったりした。
でもその後、勝新や若山富三郎との交流や、自分の作品の海外での
受け入れられ具合についての話は面白かった。
あと最近では、自分の作品も含めて時代劇がだんだんと世の中から
受け入れられなくなっている事や、大学で後進を教えながら
その現場で起こるディスコミュニケーションなど、
いろいろありながらそれでも自分で映画やアニメの製作を進めている
という話には感慨深いものを感じる、とともに作家としての執念を
感じた。
一時間ぐらいたつと、話が終わったけどまだ時間があるようで、
侍が刀を持つときや抜くときの作法の話を10分ほどして講演が終了。

15分ぐらい休憩をはさんで、
1993年作、映画「子連れ狼 その小さき手に」を上映。
映画自体は、主演の田村正和をはじめ、キャストが豪華だったが、
河原崎長一郎や沖田浩之といった故人を観ると、90年代とはいえ
昔の映画だなぁと寂しいものを感じた。
内容はオーソドックスな時代劇で、昔の作品のようなリズム感に
乏しく、わざわざ大作的に作っているので、
そうしないで、少々展開が強引でもプログラムピクチャー的な
テンポで撮ったほうが良かったのではないかと思いながら観ていた。
70年代の市川こん(漢字が無い)や斉藤耕一的なものを
作りたいのかもしれないのかなといった風景と人間との描写は
それなりには良かったと思う。
私的には、子連れ狼といえば萬屋錦之介のイメージが世代的に
強すぎたので、あまり肯定的な評価ができなかったのかもしれない。
ただ、最後の田村正和と仲代達矢の決闘シーンはそれまでとは
うって変わって、しつこかったのが気に入った。
全体的に、最初にも言ったように大作としてではなく、
普通の時代劇の感じで作ったらもっと良かったのにという
残念な印象を感じた。
2時間ほどの上映時間だったが、15分ぐらいけずってテンポを
早くして、メリハリをつけたらいいのにと私は思う。

午後5時過ぎ映画が終り、ロビーに出るとやっぱり年配の人が
多くて、時代劇は一部のマニアのものにだんだんとなっていくのかなと
寂しい気分になりながら会場を後にした。

2008年6月22日日曜日

暴動(スライ&ファミリーストーン風に)

最近、大阪の西成で大規模な暴動があって、
現地ではものすごい事になっていたらしいことをネットで知った。
「らしい」というのは、一部のローカル局を除いて新聞やテレビでは
全く報道されないので、現時点では全体像が掴めないのだ。
私が知っている限りでは、事の始まりは12日に警官が労働者に
暴行をはたらいたのがきっかけになって、1990年の暴動以来の
大きな暴動が起こって多数の逮捕者を出したらしいことぐらいだ。
この事件について、日本のマスコミはほとんど動かなかったが、
イタリアのテレビ局のクルーが現地で取材をしたらしい。
自分ではパソコンを持っていないので、その映像を観ることが
できないけど、この件についてはなんとか情報収集をしていこうと
思っている。
90年の暴動のときは大ニュースで、当時、高校生だった私も
現地に行ってみたいと思ったほどだったが、なぜ今回の暴動が
マスコミにほぼ黙殺されているのかは、秋葉原の事件につづいて
このような事が起こったと報道されると、政府だけではなく
この国の支配層全体にとって都合が悪いのだろうとは推測できる。
05年のフランスの暴動のように、新自由主義者に都合のよい
結果にならなければよいと思うのだが。
とにかく、真実が表に出ることを痛切に願う。

2008年6月18日水曜日

土曜日に起こった地震

先週土曜日(14日)の朝、ちょうど目が覚めた時、ドドドドーと
音が鳴りながら、地面が揺れ始めた。相当強い揺れで、本棚の本が
崩れたりした。揺れが収まってからベッドから立ち上がって
テレビをつけると、早速ニュース速報で地震の報道が始まっていた。
あとで外に出てみると、角館の街はいつも通りだったが、
ニュースでは横手や湯沢のほうでは窓ガラスが割れたり、天井が
落ちたりした模様がVTRで流されていた。

その後、月曜日に用事で秋田市内に行ったとき
友人と話をしていたら、彼から秋田と宮城を結ぶ道路が崩れたという
はなしを聞いたりした。
その話を聞きながら、もうちょっと震源がずれていたら高速道路や
新幹線も危なかったのではないかと思ったりもした。
思えばこのぐらいの大きな揺れは、こちらでは25年前の
日本海中部地震以来だ。あのときもすごい揺れだったと記憶している。
まあ、数年に一回ずつどこかで大きい地震が起こっているから、
ある意味で日常的になってしまったところがある。
特別なものではないから、諦めのような感情がはたらくのかもしれない。

話は変わるが、水野晴郎氏がこの前亡くなった。
70代だから仕方がないのかもしれないが、毎週のように
訃報を聞くとさびしいものがある。

2008年6月13日金曜日

文藝春秋の7月号に

文藝春秋の7月号に、吉本隆明氏の最近の蟹工船ブームを論じた
文章が載っていたが、その内容はといえば、小林多喜二と
中野重治から始まって、村上春樹の現在におけるリアリティ性に
まで言及したものだった。
吉本隆明といえば、1995年頃に、吉本の思想に傾倒した
知人がいて、オウム真理教の事件をめぐって彼とやりあったことが
あったので、愛憎半ばするものがあったのだが、
この文章には、老人特有の偏狭さや説教臭さがなくて、
自然な境地に達している感じが出ていて良かったと思う。
後半で論じられるアメリカ文化における黒人の役割についての
評価も理解できる。
程度こそ違え、ブラジルやキューバなどの文化も同じだとも思った。

2008年6月11日水曜日

社会構造が生んだ「狂鬼人間」

今月8日(日)に秋葉原で起こった無差別殺傷事件については
テレビ、新聞やネットで事件の背景について調べていたのだが、
色々と浮かび上がってくるものがあった。
ネット言論の中で、極端なものでは警察が前もって情報をつかんで
いたが、犯人をわざと泳がせて(現場の警察官を見殺しにするかたちで)
犯行をさせたという真珠湾攻撃を彷彿とさせる説もあったが、
私はそれには少し異論がある。
ここではそれは言わないが多分、新宿歌舞伎町の次に浄化の対象に
されるのが秋葉原あたりではないかと考えている人々が発信
している情報なのではないかと思う。
私がここで重要だと思ったのは、犯人が工場の派遣などを転々と
していたという事実だ。ネット言論の一部にある、これは単に
キレやすい人間が起こした犯罪というよりも、労働問題や、
90年代以降の社会構造が生み出した犯罪だという見方に共感する。
おそらく銃刀法や警察力を強化しただけの小細工では
こういった犯罪はなくならないだろう。
劣悪な労働環境(教育環境も含む)で精神を破壊された人間が
いるかぎり、自殺者や殺人鬼が減ることはないと思う。

そういえば、今回の事件の映像を見て思ったことだが、
これは昔に観た、怪奇大作戦の「狂鬼人間」の話によく似た光景
だった。人工的に精神を異常にさせられた人間が犯罪を繰り返す
といった内容で、後半、岸田森が発狂させられて街中を走り回る
シーンによく似ていた。
これが、現在の労働環境のなかで生み出されたのだ。
それでも竹中平蔵や宮内義彦のお仲間である奥谷禮子あたりなら
本人のせいだと説教をたれることだろう。
彼女本人は工場や日雇いで働いたことは無いのだが。
キレやすい人間や心の弱い人間だったらこの世の中には
いくらでもいる。かく言う私だってその一人だ。
私はこの事件を機に、2,30代の派遣社員やニート、フリーター
たちが、犯罪者予備軍扱いされて、社会的に疎外されるのを
危惧している。昔、宮崎勤事件があったときは中学生だったが、
逮捕の翌日、周りからいやな目にあわされた。
あの頃に似ている。

すこし話は変わるが、中学の頃の同級生で、昔いじめられっ子
だったが、バンドブームの時代になってから仲良くなった奴が
いた。私も含めて、流行からさかのぼってオリジナルパンクや
70sハードロックなどを聴くようになったものが何人か
いたが、彼もその一人だった。
あるとき、彼は教室にSEX PISTOLSと落書きをして
担任にキレられたことがあった。
おそらく、担任はセックスピストルズが何なのか知らなかったの
だろう。物凄い剣幕だった。ただ、どちらかといえば
彼はラモーンズなんかの方が好きだったと記憶している。
当時はバブル末期だったが、田舎なので実感が全くなく、
彼は中学校を卒業したあとは高校に進学しないで
東京に働きに出て行った。今どうしているのだろうかと
パソコンに向かいながらふと思う。

2008年6月5日木曜日

またしても訃報。

昨日、たまたま菊地成孔氏のホームページを除いてみると、
6月2日の日付でウガンダ・トラの訃報と生前の彼とのことに
ついていろいろと述べていた。
この詳しい内容については直接菊地氏のサイトを見てもらうとして、
私が知っているかぎりでは、やはり「オレたちひょうきん族」時代の
ウガンダが有名だった。どちらかといえば、音楽的というよりも
完全に芸人的な感じだった。その後になって、たまに
ビジーフォーでドラムを叩いている姿を時々テレビで観たりして
それも印象に残っている。
そういえば、コミックバンドって現在ではほとんどいなくなったな。
80年代ぐらいまではだいぶいたのだが、バンドブーム以降は
いかにもコミックバンド的なものは姿を消してしまって
(それ以前からの生き残りは別として)、
知っている限りでは1,2を数えるぐらいになった。
これは菊地氏も言及していたが、同じようにハコバン文化も
だんだんと廃れつつある。1995年頃、バイト雑誌で
楽器を演奏する人求む、という求人広告があったことが記憶に
残っているので、その時代にはまだあったのだろう。
今ではどうなっているのだろうか?

話は変わるが、昨日(6月4日)の新聞を読んだら、
ボ・ディドリーの訃報記事が目についた。79歳だったらしい。
そういえばギタリストのレス・ポールはどうなっているか
気になって調べてみたら大丈夫だった。
90歳を過ぎているけど元気らしい。ぜひ100歳まで
現役ギタリストとして頑張ってもらいたいものだ。

2008年6月1日日曜日

久しぶりに朝まで呑んだ

この前の金曜日、とある用事で秋田市内に行ったときのこと。
そのままみんなで居酒屋まで行くので後に付いていくことになり、
後はそのまま朝まで呑んだりしていてとても面白かった。
ということで、
エガちゃん、コバヤシさん、カトウさん、その他もろもろの
方々、これからもよろしく。

2008年5月29日木曜日

あいてん、アフリカンパーカッション、雨宮処凛

今週の日曜日(25日)の私のとった行動。
まず、昼の12時過ぎにココラボラトリーへ行く。
「あいてん」という美術工芸短大の学生達によるグループ展が
行われていた。展示していたのはイラスト、オブジェなどが十数点。
女の子たちの作品なので全体的にフェミニンな空気が漂っていた。

そこで学生に道を聞いてから、県立図書館向かいの
生涯学習センターでパーカッションライブが13時から始まるので
歩いて向かう。
小雨の降る中徒歩で行き、なんとかたどり着いたが、
会場がとなりの児童会館に変更になっていた。
中に入ると思ったよりも客が多くて、そのために変更になったの
だろう。
まずはジェンベとディジリドゥーのライブ、ときどき歌が入る。
西アフリカのマリとギニアの曲らしい。
ディジリドゥーの演奏は雰囲気が出ていてよかった。
その後、5人みんなで合奏してから、和楽器3人が残って
和太鼓2人と篠笛(多分)の演奏。
2曲目の途中で退席してバス停に向かう。
秋田駅前でバスを降りて、東口のアルヴェへ急行。
14時から、プレカリアート(ワーキングプア)についての
シンポジウムが始まっていたが、自己紹介の途中で
まだ本題には入っていなかった。
司会が2人で、ゲストは雨宮処凛女史。
会場の席はほとんど埋まっていたが、全体的に年齢が高めで、
あまり2,30代が少ない印象をうけた。
内容はまあ一般向けの感じで、雨宮女史の著書にほぼ
沿った流れですすんでいった。16時半ごろ終了。
内容的にはともかく、こういうイベントが秋田では
行われるのは少ないので良いことだとは思う。
まあ、もうちょっと若い人が集まったらいいのにとは
感じたが。
このあとは終バス(17時35分!)で実家に帰宅。
以上。

2008年5月21日水曜日

門屋城、ジム・オルーク「ユリイカ」

今週の日曜日、戦国時代に仙北郡一帯を治めていた戸沢氏の
角館の前の居城だった門屋城跡に行ってきた。
自転車で国道105号線をひたすら北上し、
農道に入ってから、途中で道が分からなくなってクリオンで
道を聞いて、なんとか写真で見たことのある現場にたどり着いた。
今では、全体的に林で覆われていて、本丸跡に神社があるだけだが、
檜木内川に面した台地の角の部分が城になっていて、
川が外堀の役目を果たしている。これは、角館の城では檜木内川と
院内川が堀の代わりになっているのと対応しているのではないかと
個人的には思った。だからそれなりに実戦向きの城のようには
見える。ただ、この場所では仙北郡全体を支配するには
北に寄り過ぎていて、戸沢氏が後に角館に本拠地を移したのも
納得できた。 
戸沢氏について簡単に説明すると、最初には玉川の宝仙岱にいたが、
その後戸沢、上檜木内などと南下していき、
門屋、角館へと本拠地を移動していった。
これは、昔読んだことのある大石慎三郎著「江戸時代」で描かれた
真田氏が、信州の山中から勃興していった感じにも似ている。
たぶん、戦国時代では、形こそ違え、全国的に同じような事が
起こっていたのだろう。
そういえば、12年前に奈良県の吉野にある南朝の皇居があった
所に訪れたことがあるが、あそこも峰の上に街道と集落が通っていて、
実戦になったときに防御するのに適している地形だなと感じた。

それから、城址から見た西明寺の景色は素晴らしかったけど、
あとはする事がないので帰ることに。
途中、秋田内陸線の羽後太田駅に立ち寄る。
小さな寂れた無人駅で、うらぶれた空気を醸し出している。
秋田内陸線のことについてはまたここで書いていこうと思う。

次の日、仕事の面接の帰りに立ち寄った近所の本屋で、
売れ残り(中古?)CDが500円セールで売られていた。
のぞいて見ると、ジム・オルークの「ユリイカ」もあったので
そういえばこのアルバムは聴いたことが無かったなと思い、
これ1枚だけを買って帰宅。
他にはエルマロなどもあったけど、金が無かったので
これだけしか買わなかった。
10年近く前に出たアルバムだったけど、
聴いたかぎりでは、フォーク、ソフトロック、カントリー、
映画音楽など、彼のルーツにあるものを咀嚼して
自分のものにしている感じだ好感がもてた。
このアルバムが出た当時は音響系の全盛期で、
トータスや、ディラングループなども聴いていたけども、
どちらかというと方法論の音楽という感じがして、
その頃、たまたま聴いたジョアン・ジルベルトに衝撃を受けた
せいで、その後、ブラジル音楽やジャズなどを主に聴くように
なって、このアルバムは目にはしていたけど
今まで聴いたことが無かった。それで出た当時に
聴いておけばと少し後悔した。
この作品にはもっと音楽の本質的なものを感じたからだった。

2008年5月18日日曜日

サンバイショ(サンバベース)

この前、カチャオとラテンベースとの関わりについて書いたが、
それと関連して、そういえば生きている間に
ライヴを観に行っておけば良かったなと思うベーシストがいる。
その名はルイザォン・マイア(1949~2005)
ブラジル最高のベーシストとして、生前、エリス・レジーナや
ジャヴァンなど数々のミュージシャンとの演奏を行っていた。
エレキベースを使い、スルド(打楽器)のパターンを応用して
これまでのボサノヴァやサンバジャズのベーススタイルとは
一味違う、Sambaixo(サンバイショ・サンバベース)という
スタイルを確立し、70年代MPB以降のブラジル音楽に
大きな影響をあたえた。
音楽評論家の中原仁氏によれば、80年代に日本人のヨーコさんと
結婚し、日本に移住、その後は小野リサやベベウ・ジルベルトの
アルバムなどに参加していたとのこと。
晩年(2000年代前半)は、病気と闘いながらも
東京、高田馬場のコルコヴァードという店で定期的にライヴ活動を
行っていた。その頃私は音楽誌などで彼のことを知り、
これはライヴの行かなければと思いつつも行けずじまいに
終わってしまった。残念。
いずれにしても、現在のブラジル音楽とは切っても切れない関係に
あるので、彼のベースラインを研究してみるのはいい事だと思う。
そういえば、若い頃のジャヴァンは(アフロだった)
漫画「ディアスポリス」の久保塚(同じくアフロ)に
非常に似ていると感じるのは私だけだろうか?

2008年5月13日火曜日

「音律と音階の科学」、地元の吹奏楽を聴く

最近、読んだ本のなかで面白いものがあったのでここに紹介。
講談社ブルーバックス、小方厚著、
「音律と音階の科学 ドレミ‥‥はどのようにして生まれたか」
である。
著者は、現在は大阪大学の教授で物理学が専門だが、
ジャズミュージシャンでもあり、以前は広島大学ジャズ研の
顧問だったという経歴の持ち主。
この本は、この前に行った大曲で本屋でふと立ち読みをしていたら、
これは重要だと思って衝動買いをしてしまった。

本の内容といえば、以前に書いた藤枝守の「響きの考古学」や
平岡達司「ゼロビートの再発見」などの影響を受けていて、
ピタゴラスから始まって、現代音楽やジャズなどに至る
音律と音階の歴史をたどっていくものである。
ドレミ‥‥にはじまる西洋音階はなぜ生まれたのか?ということに
ついて知るには、この本のほうがいい入門になると思う。
ただ、著者が物理学者なので、数学的、物理学的アプローチについて
より詳しく書かれていて、昔、中学生の頃に数学の授業が
つまらなくて勉強するのを止めてしまった私の思考回路では、
あまり理解できない部分もあった。
でも、そういった部分も含めてよい本だと感じた。

ただ、物足りないところがあるとすれば、
ブルーノートが、西洋和声からはずれた音でありながら
(本来は微分音)、ブルースを経由してジャズやロックの
重要な一要素となっていったことについては、
ジャズの分析に多くのページを割いているにもかかわらず
あまりふれられていなかったことと、
世間で一般に言われている「絶対音感」についての誤解についての
言及がなかったことの2つだ。
ここで、絶対音感について詳しく書くと、昔読んだ本に
書かれていたことだが(本の名前は忘れた)、
絶対音感には、絶対的絶対音感と相対的絶対音感の2つがあり、
絶対的とは何の音が何Hz(ヘルツ)かが聞き分けられること、
相対的とは一般的に言われている何の音がドかレか
聞き分けられることである
(ここでのドとかレとかはA=440Hzに基づいている)。
ただ、移動ド派と固定ド派との対立については書かれていた
部分については面白かった。

話は変わるが今週の日曜日、角館の伝承館で
仙北市の小中高の吹奏楽部による演奏会が開かれたので
行くことにした。
角館高校のOBでだれか知っている人がいないかと思って
会場に入ってみると、全然いなくて父兄とかばっかり
だったので少しさびしかったが、客席が埋まっていたので
とりあえず立ちながら聴くことに。
4つの部活が出演し、最初の角中オーケストラ部と
角館ドリームハーモニー(角小の部活?)はまあまあだった。
ただ、音の立ち上がりの「プハー」という感じは、
私が中学校の時もそうだったが
でもこっちよりは上手いかなと感じた。
3つ目の生保内小金管バンドは少人数ながら爆音で
なかなか良かったと思う。
最後の角高吹奏楽部はこなれた演奏だった。
しかし最近の吹奏楽部は男子が少なくて女子ばっかりで
スゥイングガールズそのまんまではないか?
久しぶりにブラバンを聴いたけれど、サックスやトランペット
の音を生で聴くのは気持ちが良い。
と言って、自分でもこれからまた演奏できるかなというと
もう年齢も年齢だし、こんなキレのある演奏ができるかどうか
と不安になる。

2008年5月10日土曜日

仙台で知り合った人達の活動の紹介

私が仙台で知り合った人達の活動を紹介します。

まずはg8camp08。これは、今年に洞爺湖でサミットが開かれる
のと同時に、北海道でいろいろなNGOなどがイベントを行って
自分たちの意見を伝えようという動きです。
世界で一握りの人々が、大多数の人間や自然からの収奪を
行っている現状を改めさせようという考え方だと思います。

ブログ
 http://g8camp08.wordpress.com/


こちらは、東北大学の岡本氏がやっているミニコミです。
彼は、東北大キャンパス内で鍋集会を敢行したけど、
あまり人が集まらなかったそうです。
それで、私がここに書くことで少しでも宣伝になればと
思います。

東北大学ミニコミ誌サークル「プロパガンダーラ」
サイト
 http://propagandahra.hp.infoseek.co.jp

2008年5月9日金曜日

ひさしぶりに図書館ネタ

今日、ある用事で大曲に自転車で行ってみたのだが
(高校生の時以来。疲れた)、
その帰りに大曲図書館に寄ってみた。

司書の人に聞いてみると、ここも大仙市民や通勤、通学で
通っている人には資料の貸出ができるけど、それ以外では
貸出できないそうだ。
うーん、これは「使えない」では済まされないぞ。
私が昔、東京の練馬区や川崎の高津区に住んでいたときは、
三鷹や吉祥寺、世田谷など他の自治体の図書館も利用できた。
これが秋田県では居住地により差別があるという事は
良くないことだと思う。
せっかく古典文学や楽譜などのいい資料に恵まれていると
いうのに、外部の人間が利用できないというのは困る。
どうなんだろうか?

2008年5月7日水曜日

仙台メーデーに参加してきた

この前に予告していた通り、というか、今月4日に開催された
仙台メーデーに参加してきた。

当日は久しぶりに早起きして、大曲から高速バスに乗り、
仙台駅東口に到着したのが11:30分頃、秋田を出る頃は
天気は晴れていたのだが、仙台の方は曇りがちでいつ雨が降るか
分からないような天気だった。
会場の市民活動サポートセンターには、午後1時開場の少し前に
たどりつき、まだ時間があったので、近くの繁華街に行ってみることに。
開演の1時30分が近づいたので、地下1階の会場に入る。

予定時刻より少し遅れて、到着が遅れているゲスト2名を除いた形で
それぞれ自己紹介がはじまった。
司会の仙台フリーター労組の清水貴子氏と、素人の乱の松本哉氏、
だめ連のぺぺ長谷川氏によるあいさつ、それから映画「素人の乱」の
上映が始まった。 
店内の映像から、伝説の3人デモやPSE法反対のデモ、
新宿南口でのクリスマス粉砕鍋集会と続き、
後半は、昨年の地方選での選挙活動(と言う名目でのサウンドデモや
ライブなど)が展開される。
映画の感想は、前に選挙運動の映像の一部は観た事はあったが、
反PSE法デモなどは初めて観たのでなかなか面白かった。
3:00頃に映画が終わり、遅れて到着したフリーター労組の人と
山形大寮闘争の人(両方とも名前が思い出せない)が合流してあいさつ、
その後、トークと質疑応答の時間になった。

質疑応答の途中、ぺぺ長谷川氏が、中央と地方での運動のちがいについて
話をしている途中で、私が思わず
「秋田から来たけど、仙台は中核都市なので状況はまだ良い。
農村部や山間部はもっとひどい」という内容のことを
大声でしゃべってしまった。
あとでしまったと思ったが、言ってしまったので後の祭りだった。
この事で、その後の懇親会で人から色々と聞かれる事になる。
その後、休憩をはさんで、3日に行われた新宿メーデーと
1日の高円寺メーデーの映像が上映された。

新宿では、参加者が500~1000人ぐらいで去年より盛り上がっていて、
リオのカーニバル状態になっていた。特に終点の新宿アルタ前では
一般人と参加者とがごたまぜになりながらカオス状態になっていて、
正直参加しておけばよかったと思った。
この映像は後になったらユーチューブでも観られるかもしれない。
高円寺のほうも参加者200人ぐらいで、なかなかコアな感じで
盛り上がっていた。

上映後、フリーター労組の人が、当日の出来事について説明をし、
そのあと、清水貴子氏から4月末に行われたユーロメーデーに
参加した時の、現地の状況についての説明がおこなわれた。
主に、ベルリンとフランクフルトでの展開について熱く語っていて
それも面白かった。
最後は、京都や大阪で活動している人からの話も聞けて
興味をそそられた。

5:30頃にイベントが終了して、その後は仙台市内の居酒屋に
場所を移しての懇親会が行われ、私はそこにも参加することに。
色々と山形大や東北大での運動などの話を聞いたり、
東京からの参加者にも話をきいたりして、さまざまな情報を
聞くことができた。
途中、私は宿泊先にチェックインするために退席して、
約1時間にまたもどった。
その後、となりにぺぺ長谷川氏が来てあいさつする。
話の途中で、米沢周辺で農民運動があったという話を聞き、
農村部でもやればできると叱責に近い口調で言われた。
私はもっともだと思いながらも、そこまでやるべきか、
できるかどうかとも悩んでしまった。
途中で06年に行われたサウンドデモでのDJが逮捕されたときの
映像が流されたりして、会は9時頃に終了した。

終了後、私も含めて残った4名で別の居酒屋に移動して
2次会を行って、そこでもいろんな話を聞くことができた。
11時頃に、途中で参加者に別れを告げて、
宿泊先への帰りの途についた。
6時頃から雨がぱらついていたが、その頃には少し強くなっていて
少し濡れながら到着した。
就寝時に、興奮していたのかなかなか寝付けなかったのを
覚えている。今度イベントがあっても呼ばれるか分からないかも
しれないけど、もしあったらまた行ってみようと思っている。

2008年4月30日水曜日

古いビデオを整理しながら

この前、大昔に買って放置していたビデオテープを
整理しているうちに、そのうちの何本かを観てしまうという
いつものパターンに陥っていた。
ここではそのうちの何本かを久しぶりに見た感想を書く。

まずはソフトマシーン。1971年の頃の4人編成で、
音楽番組ビートクラブ出演時のものだが、
音は全滅、画像はなんとか生き残っていた。
まあいいや、たしかDVD化されているので買い直そう。
ユーチューブでも観られるかもしれないし。
しかし、マイク・ラトリッジのオルガンの音色は
ジョン・ロードとかよりも過激でこちらの方が良いなぁ。
次は、キャプテン・ビーフハート&マジックバンドの80年のパリライブや、
テレビ番組でのスタジオライブなどもろもろの映像。
こちらの方は音も映像も生き残っていた。
サウンドは80年代ニューウェイブ対応のタイトなリズムに、
あのダミ声が乗っかる形のひとつの到達点にある素晴らしいものだ。
個人的には、フリー色が強いが、グルーヴが重い
「トラウト・マスク・レプリカ」よりもこの頃のほうが好きだ。
こっちの方はDVD化されているのかな?
あと、こちらは中身をチェックしなかったけど「ロッカーズ」
といってもジャマイカの方じゃなくて、
東京ロッカーズ(知っている人は少ないと思うけど)の
ドキュメンタリー映画。
これはDVD化されていないと思う。
音楽的に面白いかどうかは別として資料性は高い。

話は変わるが、そういえば4月28日の「英語でしゃべらナイト」を観て、
ジェロの持ち味はHIPHOP、R&Bのリズム感と
ナチュラルなこぶしが合わさったところにあるのだなと感じた。
ということで今回は終わり。

2008年4月27日日曜日

中国にも「空気」のような物が存在するのだろうか?

最近、テレビや新聞、ネットでの中国関連の報道を
見ながら感じたことがあるのだが、反仏デモの映像を
見ながら、山本七平の著書『「空気」の研究』に
書かれていた内容を思い出していた。

もともと、「空気」とは日本人に固有の集団心理を
指す言葉なのだが、中国(や韓国)にも「空気」に
当てはまるものが存在するのかもしれない。
中国人は、日本人の集団的傾向に対して、
超個人的(アトム的)な要素のほうがつよいから
性質的に違ったものになると思うけど、
それでも、漢字文化圏特有の人間関係の心理状態と
しての「空気」が良くも悪くも共通してあるのだろうと
思う。

05年の反日デモのときもそうだったが、
3月のチベット騒乱の時から、最近の反欧米デモや
ネット言論などの動きを見てみると、中国人の
ナショナリズムは、20世紀初め頃のわが国の感じに
よく似ていると感じた。
ちょうど、1905年(明治38年)のポーツマス条約反対の
日比谷焼き討ち事件のはげしさによく似ている。
私の勝手な妄想なのかもしれないが、
このまま状況が進んでいくと、そのうち関東大震災直後
の民衆による朝鮮人虐殺に似たようなことが、
(漢民族からチベット、ウイグル民族などに対して)
起こる可能性を感じた。
だから、ダラムサラの亡命政府と中国政府の対話が
はじまったとしても、このことは注意して見守らないと
いけないと思う。

『「空気」の研究』の話にもどるが、
そういえば最近、佐藤優の「私のマルクス」を読んでいる
最中だが、この人物には少し山本七平に通じるものを感じた。
というよりも、日本人のキリスト教徒で聖書や神学の
研究をして、かつ保守寄りの思想の持ち主というのは
似たような精神構造になるのかもしれない。
そういう立場から日本を研究または分析するので、
良し悪しは別として、あの独特な視点が生まれるのだろう。

あと、最近の流行語の「KY」に対して、
ネット上で「KY」は村八分と同義語ではないかという
書き込みをみつけた(何のサイトだったかは忘れた)。
私もこの意見には共感できる。
この日本的な「空気」というものは
たまらなくいやなものなのだ。
個人の思考、行動に対してものすごい重圧になっていく。
もっと風通しのいい社会になってほしいものだが
(この言葉も「空気」と繋がっている)、
なかなかそうはいかないというのが現状である。

2008年4月22日火曜日

ラテンベースの神、カチャオ

昨日、ネットでニュースを読んでいたら、訃報記事のところで
カチャオが亡くなったと書いていた。
89歳だったらしい。大往生なので悲しいとは思わないが、
少し寂しい気がする。

カチャオと言われても「それ誰なんだ」と思うだろうが、
キューバ音楽のみならず、ラテンベース奏法の開祖と言っても
よいぐらいの大ベーシストである。マンボの創始者のひとり
とも言われる。
彼がキューバ音楽のベーススタイルの基本形を確立したと
言ってもよい。
甥のカチャイート・ロペスは、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
で活躍しているベーシストである。
前述したように、カチャオから始まって、カチャイートや
ロス・バン・バンのフアン・フォルメルたちが、キューバ音楽
のベーススタイルを発展させて今日に至っている。
と書いていて、元になった記事を読み直していたら
なんと、ノイ!のクラウス・ディンガーも亡くなっていたでは
ないか!こちらは61歳だ、参った。

しかし書きながら思うけど、先月の広川太一郎(ブログには
書いてないけど)といい、川内康範といい、訃報ばっかり
じゃないか。なんだかなぁ。

(追記)
そういえば広川太一郎のことで思い出したけど、
2年ぐらい前、職場の同僚(20代半ば)と雑談をしていて、
Mr,Booシリーズでのマイケル・ホイの吹き替えは凄かったと
いう話をしたら、彼はそもそもMr,Booシリーズ自体を
知らなくて世代間ギャップを感じたことがあった。

あと、本当はモンティ・パイソンの方がもっと凄いらしいけど、
私はオリジナル音声版しか観たことがないので、
少し前に発売された吹替音声収録のDVDを買おうか
最近は迷っている。

2008年4月20日日曜日

ガンダーラ映画祭の勝手な紹介

現在、東京下北沢LA CAMERAでガンダーラ映画祭が
行われています。
06年から始まって、今回で3回目で去年は私も観に行きました。
若手監督による短編映画をまとめて上映する試みです。

ブログ
http://blog.livedoor.jp/gandhara_eigasai/

今月27日(日)まで。もし東京に行く用事があったらついでに
観に行ったら面白いでしょう。

話が変わるけど角館の桜も少し早めに咲き始めました。
こちらの方も立ち寄るヒマがあったら見て行ってください。

2008年4月18日金曜日

秋田内陸線のこと

おととい、近所の本屋でたまたま東洋経済新報を立ち読みしていたら、
今回は「鉄道革命」という見出しで特集が組まれていた。
内容といえば、大雑把に言うと今後、世界的に交通手段の主力が
自動車や飛行機から鉄道へと移っていくことと、これに対して日本は
どのようにしていけばよいかという事が書かれていた。
これを読んでふと思ったのは、近所を走っている秋田内陸線について
のことなのだが、この特集の中で日本の廃線寸前の路線一覧が
書かれていて、その中にやっぱり秋田内陸線も含まれていた。
記事にはなるべく廃線にしないで活用すべきとのニュアンスの主張が
書かれている。
私は完全にローカル線存続派なのでこの主張には共感できた。
しかも、これからの日本では新幹線だけではなく、在来線も活用
すべきとのことらしいのでそのとおりだと思う。

話は変わるが、戦前、日本から朝鮮、満洲、中央アジアを通って
ヨーロッパへ高速鉄道を走らせるという計画があった。
満鉄のあじあ号はその一部である。
戦後、国鉄総裁として新幹線計画を指揮した十河信二はこの計画の
メンバーであった。
このように、20世紀前半の日本はアメリカやドイツ(アウトバーン)が
モータリゼーションを優先させたのに対し、鉄道網の発展を
中心にして交通を発展させるという政策をとっていた
(高速道路計画もそのころから存在していたが)。
この流れを、高速道路と両立させながら加速していったのが
田中角栄だった。
それから3,40年たったが今後は、新幹線のような高速鉄道よりも
地下鉄、路面電車や、ローカル線の方に重点が移っていくらしい。
話はもどるがだから、秋田内陸線や由利高原鉄道のような
ローカル線が活用される時代がやってくるだろう。
そのためには廃線にはせずに残しておいたほうがよいと思う。

とは書いたものの、本当は今欲しいクルマがあるので
自分としても矛盾しているなぁとも思った。
ということで今回はこれまで。

2008年4月15日火曜日

ビア・ハンター、川内康範

先週土曜放送のサタスマで、マイケル・ジャクソンの特集をしていた
ので、そういえば同姓同名のイギリスのビール評論家で、
「ビア・ハンター」の異名で知られている方はどうしているのかと
思って調べてみたら、なんと、去年亡くなっていたではないか。
今まで知らなかったのは愚かだった。
日本の地ビール文化にも影響を与えた人だっただけに残念だ。

同じく、この前亡くなった川内康範もまあ88歳といえば大往生
なのだが、90を越すかなと思っていただけに残念。
どうしても去年の森進一との確執が有名になってしまったのだが、
私としては幼稚園のころに再放送で観たレインボーマンのほうが
記憶に残っている。1995年に出たクイックジャパンの0号か1号で、
インタビューと特集が組まれていたので、印象が強くて
DVDで観直したほどだった。
観た印象では低予算なのは否めない感じだが、
今ではテレビ放映が無理なぐらいのインパクトはあった。
子供向けにしては奥が深いものを感じた。

2008年4月9日水曜日

今更ながら、今年最初のブログ

4月です。そろそろ書かなければと思いつつも、
諸事情により今までずれ込んでしまった。
あいつはどうなっているのかという声も聞こえてきた。
大丈夫(かどうかはわからないが)!私は生きていますよ。
今後の活動は未定だが、おいおい再開していくのでよろしく。

話はかわるが4月末から5月中旬にかけて、
メーデーのイベントやデモが全国で開かれる。

東京では、5月3日(土)「自由と生存のメーデー」
http://freeter-union.org/mayday/
メール union@freeter-union.org

北海道、東北では、
 札幌 4月29日(火)http://unity-mayday.blogspot.com
 仙台 5月4日(日)http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20080405
 メール sansha@hotmail.co.jp
特に最近の社会問題に関心があるというだけでなく、
単に軽い気分で行ってみるのもいいかもしれない。
当日は、仙台の会場に行くかもしれないので、
もし見かけたら声をかけて下さい。